今年から京大の入試が変化した。年内に法学部をのぞく学部で特色入試といふ名の推薦入試が始まる。「学びの設計書」「学びの報告書」といふ名の論文を提出されるのも、学びの劣化を危惧してのものである。一般の入試では見極められない「学力の劣化」を何とか食ひ止めたいといふのがその意図である。
北野氏は、かういふ例でその「劣化」について話された。
入試は、ある尺度を学生に求めてゐる。
魚を例に挙げれば、一定以上の大きさの魚を求めてゐるが、それを識別するのに長さLを尺度とすると、長さLが満たされてゐればいいといふことで、細長い魚がたくさん出てくる。それでは困るといふので、次に長さLと巾Wとを尺度にする。すると、長さLを満たした細長いものに背びれと胸びれだけが異常に大きい魚が出てくるといふことになる。
尺度に合はせて学生像が変形してしまふといふのである。
これは深刻だ。しかし、それは入試で解決を図らうとするから深刻なのである。大学入試だけでこの解はなかなか解けないだらう。発想を変へて、大学卒業試験を必須にするだけでも、かなりの部分で解決ができると思ふ。入試を弄るといふ陥穽に自らはまつてしまつてゐる、大学の先生方がさういふ発想に陥つてゐるのが最も深刻なのである。その意味で私は高大連携などといふ慣れないことを大学の先生はするのではなく、きちんと研究者(の卵)として育てることこそ注力すべきことだと考へてゐる。